フォリア・タクティクス

〜 構造的フーダニットを追及する狂騒の異世界舞闘譚 〜










武闘家高校生、機甲兵器乗り高校生、美少女軍人、
変態妹キャラ、チート級美女
妖怪 、秘密結社首領ショタッ子、

美少女魔王、ダークナイト、日曜朝九時系魔法少女、クール系魔女ッ子、
戦隊チーム、孤高系ヒーロー……。


数多いる主人公のなかで、
真の主人公となるのは果たして……。

この作品は、いったい誰のための物語なのか。
「誰が本物の主人公(フーダニット)」なのか。







あらすじ

地球に転移していた最強異世界人たちが、
不意の事故により、さらに戦乱や魔物が跋扈する世界へと跳ばされ、その地にて死闘を繰り広げる大河バトル戦記。

棒術使いの高校生兄妹は傭兵ギルドで成り上がり、
兵器乗りの美少女軍人は剣鬼夜行の国家動乱に巻き込まれる。

鬼神の如き強さを誇る女妖怪は祭祀闘技場にて殺戮巫女と邂逅し、
怪人秘密結社の狂科学者は改造魔神を従え覇権を唱える。

野心家の美少女魔王は忠臣ダークナイトとともに帝国を手中にせんと画策し、
魔法少女は真理の迷宮にて異世界の理を探る。


さらにさらに……、人々の数だけ運命は巡り、狂騒舞闘の思惑は交差する。


果たして、この群雄割拠する狂騒の舞台で、真の覇者となって踊り出るのは、どの人物か……。
フォリア・タクティクスという巨大タペストリーの中心に描かれ、作品を成立させるのは誰なのだろうか?





■   ■   ■




テーマは副題の通り「構造的フーダニットを追及する」です。

通常、活劇的な作品フォーマットというのは、共感(感情移入)できる主人公を据えたうえで、
その人物に困難や目的を与え、その課題をいかに華麗に克服、達成させるかを演出し、劇的なカタルシス成立を狙うもの。

それはつまり物語としては構造的ハウダニットを追及していると言えるでしょう。
(エンタメ系作品とは往々にしてそうですが)

バトル物で打倒しなければならない巨悪があるのなら、「主人公が(どうやって)それを倒すか」を様々演出するわけですし、
冒険活劇的な目的、長年の夢となる目標がある場合は、「(どうやって)それを達成して夢を叶えるのか」を演出するわけです。


ミステリであればハウダニットな不可能犯罪、

「(どうやって)行ったのか分からない犯罪」を、「ロジックを積み重ねて(どうやって)暴いていくのか」
を読者に見せていくという、構造的ハウダニットで展開しますし、


物語上のフーダニット(犯人捜し)を追及するにしても、

「(誰が)犯人なのか」を、 「(どうやって)明らかにしていくのか」
という展開を見せるのですから、作品構造的にはハウダニットで構成されています。

 

であるならば作品における「構造的フーダニット」とは何か……。
そう考えた時、「(誰が)作品成立者の役割を担うのか分からない」モノが該当するのではないかと僕は考えました。

(まとめきれてないので、ここから分かりづらさは加速しますw)


今回の作品においては、表面上、互助会のキャラがそれぞれ目的と信念を持って、
通常の物語のようにハウダニット的に物語の糸を紡いでいく。

しかしその人物がその巻において主要な役割を担っていても、作品全体としては、どの役割を担っているか分からない。


それが分かるのは最終巻。
フォリア・タクティクスという作品テーマが消化された瞬間。
物語が真のクライマックスを迎えた瞬間。


その瞬間に、それぞれが紡いだ物語の糸が、大きなタペストリー(作品)となって完成し、
中心に描かれている主人公の姿が明らかになる。
今までの物語が、その人物をエンタメ的に美味しくさせるために紡がれていたことが明らかになる。


そして他のキャラ……。主人公の有力候補だと思われていたキャラが実は敵役だったり、
ただのモブキャラだったり、地味な活躍をしていた女性が実は第一ヒロインだったりという風に、役割が確定し、人物相関図が完成する。


それが構造的フーダニットの一つの解釈ではないかと……。


普通に分類すれば中心人物を定めない群像劇になるのでしょうかね……。
個人的感覚で言えば一人シェアワールドと言った感じですか。


群像劇は一つのテーマを皆のチームワークと伏線パスワークで演出し、精緻に作品を成立させる、という感じですが、
これは各々が信念と目的を別にして行動し、それぞれの物語のなかで異世界を様々な観点から深掘する。


それら幾多の物語が紡がれた果てに、大きな枠組みにおいてフォリア・タクティクスというタペストリーが成立する。

写真をいっぱい並べて大きな人の顔を浮かべる、みたいな感じですかね。
写真それぞれにも意味があって主役があるけど、全体として浮き出るその顔の人物こそが
「作品構造的な主人公(フーダニット)」って趣向です。

 

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 説明その2


通常、活劇エンタメにおいて、読者が感情移入する主役が欠かせませんが、
当然のことながら主役というのはエンタメ作品において、
確実と言って良いほどに「勝利」を約束され、「目的」の達成が許され、
何よりも作品自体の「成立」を担わされるわけです。
(ここぞと言うときに仲間が倒れ、主人公の剣がいきなり光り輝いたりする感じ)


ですからもし主要な主役が戦記エンタメの舞台において、ある陣営に与したらその陣営の勝利はもう決まり。
途中で何敗かするかもしれませんが、最終的にはバッドエンドで締めない限り勝ちは決まっています。
(作品テーマによって勝ち負けとは別の着地点もありますけど)


そしてこのご時世、バッドエンドなど余程のテーマ性が無ければ受け入れられないでしょう。(僕も嫌いです)
であれば主役が確定し、善悪の対立軸、目的がハッキリした段階で、その作品の先は見通しやすくなり、予定調和の匂いが強くなります。
(昨今はその予定調和を望む風潮が強く、何よりも安心感が重要な要素でもありますが)


多少のどんでん返しはあるでしょう。劇的なテーマ処理などもあるでしょう。
しかし少なくともその作品を主人公が成立させることは確定しています。

でもそれはある意味、スポーツの試合などで録画放送を見ているようなものではないでしょうか。
しかも結果だけが先にヤフートピックスに載っていたときと同じ、勝敗がすでに分かってしまった状態。



こうなると最早、意識は「ハウダニット」の演出を楽しむ方向に変わります。
どのような試合運びで、どのようなパスワークとシュートで得点を入れたのか。
どのようにして(すでに知っている)その結果になったのか……。

そういう展開や手段(ハウダニット)を主眼にして観戦するわけです。


それはそれで楽しいことですし、初めに大団円ありきでも、それを忘れさせ、ハラハラさせ、興奮させる。
そういう演出を行うのがエンターテイメントであり、プロフェッショナルな仕事の流儀だと思います。


でも今回の作品においては、まるでスポーツの生試合を見ているように作品成立者(MVP)が最後まで判明せず、
それゆえに応援する主人公候補に熱を入れる。
最悪、自分が応援していたキャラクターが最下位(モブキャラ)に終わるという悲哀もありうる。w

だけど同時に、もし自分が共感し、願望成就の依り代として夢を託したキャラが、
作品成立後に真の主役として優勝旗を掲げ、タペストリーにその顔を浮かび上がらせたら……。

その時のカタルシスは相当なものではないか……。
それこそが構造的フーダニットのエンタメ機序であり、この作品のテーマではないか。


ただし、昨今のライトノベル的作品において、読者の願望成就の依り代たる主人公が誰か分からない、というのは致命的な弱点です。
自分の心と身体のチ○コを誰に託して良いか分からないなど言語道断です。

転移転生でたっぷり感情移入し、同一化を果たしたあと、
ストレスを寄せ付けない絶対的チート能力で困難を爽快感たっぷりに粉砕する。

昨今のストレス多き社会において、わざわざエンタメで、趣味の世界でイライラしたくない。
不安もストレスもなく単純にスッキリしたい、ということなんでしょう。……分かります。


なのでそういった部分にも充分留意しながら、自分好みの作品構造を築き上げていきたいと思います。



そもそも僕も、結局のところ胸糞悪い話は大嫌いですし、予定調和なハッピーエンドが大好きです。
ストレス解消を目的としているのに、作り手のエゴでストレスを蓄積するなんて本末転倒。



フォリアというのは「常軌を逸した」とか「狂気」とかいう意味があるようですので、
「常軌を逸した(熱さ)」とか「常軌を逸した(対立構図)」「常軌を逸した(爽快感)」などをテーマにして、
ラノベ的なエンタメ機序を追求しようと思います。




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作品タイトルの由来


フォリア・タクティクスの「フォリア」は、ジョルディ・サヴァールの「ロドリゴ・マルティネスのフォリア」
から取らせて頂きました。……僕はこの曲が物凄く好きなので。








中世系小説を読んでいる時に古楽CDを流したりしているんですが、その中でフォリアを久しぶりに聴いていたら昂ぶってしまって、
その際にイメージが降りてきたんです。この曲をバックに絶世の美少女(舞踏巫女)が踊っている姿が……。


フォリア・タクティクスの世界における舞踏巫女は、魔術師としての素養を持っていて、
舞踏の際に様々な魔術を発動させるんです。


周囲に火柱を侍らせ、宙を氷結させて見えない足場を作って、空中でステップを踏み、
四肢から光の枝を明滅させながら千変万化の彩りある舞踏を披露する。


ヴィオラ・ダ・ガンバの美しくも苛烈なる旋律、哀愁と慟哭を爪弾くリュート、粛々と時を刻むパーカッション。
リュート奏者の朗々たる声が舞踏儀曲を歌い上げ、クライマックスには巫女の壮大なる狂騒舞踏が……。


それは華麗なる演舞、幻想たる円舞、狂騒と化した炎舞……。


難所越えの無事を祈る一大スペクタクルな舞踏儀式を見て、
隊商護衛の任務に就く荒くれ者の傭兵たちは興奮し、腕を振り上げ、声をあげ……。

同じく傭兵として活動することになった地球人の高校生たちは、改めて自分たちが異世界に来たことを痛感し、
望郷の念と、幻想的な光景に対する畏怖と感動の中で静かに涙を流す。


このシーンをどうしても活字に起こしたい。……という訳で古い構想を引っ張り出してきました。
(第一巻で登場します)


そしてこのサヴァールのフォリアを完全に拝借した形で、異世界の舞踏儀曲を作りました。
異世界創生の真理(僕の大好きな超名作SFの構造美をモチーフにしました)を内包した詩を作り、
フォリアに当てはめる。


作品内においては古代の僧侶、ロドリゴ・マルティネスさんが作った舞踏儀曲ということになっています。w
異世界に数ある舞踏儀曲(フォリア・タクティア)のなかでも、一番人気の曲らしいです……。
詩は以下の通りになります。




『かつて天上には極彩の神々がいた。
 彼らはこの世界を遊興の地とし、光を創り、大地を創り、命を創った。
 彼らはこの世界を福音の地とし、水を創り、火を創り、風を創った。


彼らはこの世界を大いに繁栄させ、悠久の輪転を楽しんだ。


無垢なる神がいた。
清廉なる心を持つ、純白なる神がいた。
しかし其の清き心がゆえに、無垢なる神は、邪なる神へと堕ちていった。

其の白さがゆえに、あらゆる色に染まっていった。


神々は救おうとした。
白き神に手を差し伸べ、愛を説いた。
信頼を託し、献身を約束した。


しかし穢れ憑いた神は、幾万の魔物を従え、極彩の神々に戦いを挑んだ。



神々は戦った。
大地の上で、闇の中で、悲嘆の下で……。
幾万の魔物と、孤独なる邪神と……。


戦いの果てに世界は荒廃し、幾多の神々が砕け散った。
その身体は極彩の欠片となって、大地に降り注いだ。


世界には邪しまなる神と、幾万の魔物が残された。
世界には命が残された。悲劇が遺された。
神々の欠片を糧に、世界は非業の輪転を始めた。


極彩の神々を弔おう、この世界のために戦ったのだから。
母なる神々を讃えよう。この世界を創ったのだから。
 

彼らのために踊ろう。勇壮なるその姿を讃えるために。
彼らのために踊ろう。悲壮なるその最期を慰めるために。
彼らのために踊ろう。永遠なる感謝を捧げるために。



踊ろう! 踊ろう! 狂ったように踊ろう!
これは祈りを捧げる舞踏(タクティア)なのだ!

踊ろう! 踊ろう! 狂ったように踊ろう!
これは祈りを捧げる舞闘(タクティクス)なのだ!


踊ろう! 踊ろう! 狂ったように踊ろう!
今宵は狂騒(フォリア)を捧げる夜なのだ!』

 


というわけで、
これが「ロドリゴ・マルティネスの舞踏儀曲(フォリア・タクティア)」になります。
最後の()内は読まないで、漢字の方で歌うみたいですよ。
ただ実際はヤンマーニ的な異世界言語で紡がれているんでしょうけど。


そしてこの美しい舞曲が内包する真理に誰が辿り着き、舞闘の主役として踊ることになるのか。
精緻なる狂騒を我がものとするのは誰か……。ってことですね!



ただ僕は行間を空けるような詩を書くのが苦手で、
直截的なものしか書けないのがコンプレックスなんですよね。
だから伏線とか関係ないほど、真理をモロに語ってしまっているし……。
格好良い詩ってもっと抽象的ですよね。  


それとCDで言えば2分55秒辺りから「踊ろう!踊ろう!狂ったように踊ろう!」に入ります。
リュートの伴奏が激しくなるところね。(ここを大音量で聴くとテンション超あがるよ!)
その瞬間、巫女の周囲の火柱が猛り、乱舞し、夜空のなかで舞踏を捧げる彼女を強く照らし出す。


それから間奏に入って「世界には邪まなる神と……」に戻って、
もう一度リュートが盛り上がる場面で「踊ろう!踊ろう!狂ったように踊ろう!」に入る。

……もうね、傭兵たちは大興奮、大合唱、大喝采でやんやの大騒ぎ。
そのシーンを是非とも表現したい! ただし脳内イメージを十二分に写せる文章力が欲しい!w


上記に挿入したyoutubeの曲で言えば2分52秒辺りってことになりますかね。


著作権に少しでも関わったことのある人間が、このようなことをするのはどうかと思いますし、
ご批判を受けるようであれば粛々と罰を受け入れる所存でも御座いますが、
どうしてもサヴァールの素晴らしさをご紹介したいので、リンクを貼らせて頂きました。
(当然ながらCD版より音質が下がってるみたいですよ、youtube版)


このフォリア・タクティクス自体、出来ればサヴァール販促小説にしたい所ですし、
是非ともサフレ(サヴァール・フレンド)を募りたいところなので、
この曲が気に入りましたらCDをお手にとって頂ければと思います。


2000円前後なので、くりぃむの上田さんなら「手ごろだねぇ」と言って下さる価格です。
……皆さんも是非!








ここまで読んでくれた人、ありがとう。w
大多数の人が「あらすじ」辺りで挫折すると思う。






 














 



 




 

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